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神戸地方裁判所 昭和42年(ワ)12号 判決

原告 大西弥生

右訴訟代理人弁護士 西川晋一

被告 阪神電気鉄道株式会社

右代表取締役 野田誠三

右訴訟代理人弁護士 小長谷国男

主文

被告は原告に対し金七六万円及び内金七〇万円に対する昭和三八年七月一八日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一は原告の、その余は被告の負担とする。

この判決は主文一項につき仮に執行することができる。ただし被告において金六〇万円の担保を供託するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一申立

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金一六〇万二、八〇〇円及び内金一五三万二、八〇〇円に対する昭和三八年七月一八日より支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」の判決並びに仮執行の免脱宣言を求め

双方の訴訟代理人は、それぞれ以下のとおり述べた。

第二原告の請求原因

一、原告は、昭和三八年七月一七日午後四時四五分頃、被告会社の従業員内村博幸運転の被告会社保有兵二あ一七九一号乗合自動車(以下本件バスという)に客として乗車し、上石屋川停留所で下車すべく降車口附近の金属製の握り棒につかまり立っていたところ、神戸市灘区徳井町一丁目三番地国道を東進中の右バスが急停車したため、原告はその反動によりよろけ運転席の後ろ附近に転倒して頭部打撲傷を負い、以来頭重感、易疲労性を伴う神経症状が続いている。

二、被告会社は自動車による旅客運送を営むものであり、原告の右傷害は被告会社が本件バスを営業上自己のために運行の用に供していた際その運行によって生じたものであるから、被告会社は自動車損害賠償保障法第三条本文により、右負傷のため原告の受けた損害を賠償する義務がある。

三、原告は右傷害のため、次の損害を受けた。≪省略≫

四、よって被告に対し以上合計金一六〇万二、八〇〇円及び内金一五三万二、八〇〇円に対する昭和三八年七月一八日以降完済まで年五分の割合による金員の支払を求める。

第三被告の答弁及び抗弁

(答弁)≪省略≫

(抗弁)

(一)  仮に、原告がその主張のような傷害をうけ、損害が発生したとしても、本件バス運転手内村博幸には運転上の過失がなく、かつ右バスは新しい車輛であって構造上の欠陥又は機能の障害はなかったから、自動車損害賠償保障法第三条但書により被告会社にはその賠償責任がない。

(二)  仮に被告会社に賠償責任があるとしても、原告の負傷は原告の過失によるものであるから、賠償額の算定上右原告の過失を斟酌すべきである。すなわち、交通量の頻繁な市街地を通行する乗合バスの運転手は種々の突発的交通障害に対応して交通事故発生防止のため急停車その他の臨機の措置をとらなければならないのであるが、その反面において多数の乗客が共用する市街地バス内においては、乗客もかかる急停車等の措置があり得ることを予想し、臨機の処置に対応し自らを保護すべく、座席のない場合には吊り皮或は握り棒を確実につかまえ転倒等による危険の発生を自ら防止すべき義務を負う(そのため車内にはその設備がなされている)ものであり、本件のバス内にもその設備があり、かつ「お願い。急停車をすることがありますから御注意ねがいます。」と記載した掲示札を窓枠に掲げ、乗客の注意を喚起することに努めていたのである。しかるに原告は座席が満員でないのに出入口附近に立ち、しかも吊り皮、握り棒などを確実につかんでいなかったため、僅かな衝撃にも耐えられなかったものである。結局原告の本件負傷は原告の守るべき注意義務をつくさなかったことによるものであるから、損害賠償額の算定上原告の右過失を斟酌すべきである。

(三)  原告は本訴提起に伴う弁護士費用の賠償を求めているけれども、原告の本訴請求は理由のない、または過大な請求である。被告は原告より右のような不当な請求訴訟を提起されたため、やむなく弁護士小長谷国男に委任して応訴した。そのため昭和四二年三月一三日着手金として金五万円を同弁護士に支払い、謝金として勝訴額の二割以内を支払う旨の契約をした。よってもし原告主張の賠償額が認められる場合には、その額と被告の負担する右弁護士費用の額とを対当額で相殺する。

第四被告の抗弁に対する原告の認否《省略》

第五証拠関係≪省略≫

理由

一、原告主張の請求原因一の事実(本件負傷事故の発生事実)は、急停車による衝撃の程度、原告が負傷した態様とその傷害の部位程度、治療経過の点を除き、当事者に争がない。

二、そこで争のある右除外事実につき判断する。

≪証拠省略≫を綜合すれば(但しいずれも後記認定に反する部分は採用しない)、原告は本件事故発生地点の東方約五、六〇米の所にある上石屋川バス停留所で下車すべく石屋川交差点の手前から座席を立ち乗降口附近に歩み出て(その時の服装はツーピースの夏服に突かけ式のサンダルを履き、左腕にハンドバッグと買物袋を掛け、右手に長柄の日傘を持っていた)左手で握り棒を軽く掴んで立っていた。

本件バスは石屋川交差点で信号待のため停車し信号に従い発車したが、右交差点を通り過ぎようとした頃(約三〇米前進)突然進路前方の先行自動車が急停車したため、本件バスの運転手内村博幸は追突をさけるためブレーキを踏みバスを急停車させた。右急停車はいまだ加速の十分でない段階であったため乗客に与えた衝撃は左程大きいものではなかったが、しかし乗降口附近の座席に子供を膝に乗せて掛けていた婦人とその子供も急停車の反動で軽い打撲傷を受けた程で、立っている乗客に与えた衝撃は更に大きく前記の姿勢で立っていた原告はその衝撃のため握り棒から手が外れ前方によろけて運転席の後方に倒れたこと。そのため原告は頭部及び肩を打撲し直ちに本件バスで(右の乗客親子二人と共に)清成病院へ運ばれ診察を受けたがレントゲン検査の結果骨に異状はないから心配ないといわれた。

しかしその夜から頭痛を覚え約一週間発熱が続いたので同年八月九日神戸医科大学附属病院にて診察を受けたところ、植物神経症状を認め、脳波検査では左頭頂、側頭部に律動異状徐波が現れ、頭部外傷後遺症と診断された。原告はその後昭和四一年一二月二〇日までの間おおむね二週間に一回の割合で同病院にて通院治療(薬剤は毎日服用)を受けたが依然植物神経失調症はとれず、頭痛や頭重感、易疲労性は全治に至らなかった。かような事実が認められる。

ところで被告は、原告の右のような長期間にわたる症状は本件負傷によるものとはいえず、むしろ中高年女性に特有のいわゆる更年期障害の症状とみるべきであると主張する。そして≪証拠省略≫を合わせ考察すれば、原告は本件の負傷当時満四九才余であったところ、我国婦人ではほぼ四五才から五二才頃までの間に更年期移行に伴う卵巣機能の生理的減退その他内分泌機能の変調を来たし、そのため血管運動神経障害様症状として、冷え症、のぼせ、心悸亢進等の症状が、精神神経障害様症状として、頭痛、めまい、耳鳴り等の症状が、知覚障害症状として、しびれ感、知覚異常等の症状が現れ易いこと、原告は本件事故当日前記医大病院に行き同年(三八年)五月に受けた甲状腺手術の以後の経過につき診察を受けたのであるが、その際医師からホルモン剤の服用を指示されていることが認められるので、原告の本件負傷以後における前認定の症状は右の更年期障害の症状が加わっていないとはいえず、むしろ右のような年令的段階にあったため本件事故による傷害の症状を強め、またその治癒を困難ならしめたと推認することができる(そしてこれらの事情は原告の慰藉料の算定上斟酌して然るべき事情である)けれども、しかし原告の前認定の症状が本件事故とは無関係に、いわゆる更年期障害の症状として発生したものと断ずべき証拠はない。そして原告が前認定のごとくバス内で転び頭や肩を打撲した場合その傷害の後遺症状として頭痛、頭重感、めまい、しびれ等の症状を起す可能性は十分に存在するのであるから、右症状は本件負傷事故に因るものと推断するのが相当である。

三、次に原告主張の損害につき判断する。

(1)  通院交通費

≪証拠省略≫を綜合すれば、原告は本件事故による前記傷害のため昭和三八年八月九日から昭和四一年一二月二〇日までの間おおよそ二週間に一回の割合で神戸医科大学附属病院にて通院治療を受け、その内昭和四〇年三月一八日までの間は当時の住居神戸市東灘区御影町一里塚より阪神電車及び神戸市電を利用して通院したため一往復に金九〇円の交通費を要し、それ以後昭和四一年一二月二〇日までの間は神戸市垂水区南多聞台六丁目より西舞子団地バス、国鉄、神戸市電を利用して通院したため一往復に金二〇〇円を要し、その間に要した交通費は合計一万円を超えることが認められる。

(2)  喪失利益

≪証拠省略≫を合わせると、原告は本件の受傷までは洋裁の仕事をし、ウイーン洋裁店の下請仕事(右両証人の手を経て婦人服の仕立をする)及びマミー株式会社の下請仕事(ブラウスの縫製)をして純益として一ヶ月金一万三〇〇〇円を下らない収入をあげていたこと、しかるに本件受傷後は右洋裁の仕事をやめ何らの労働収入を得ていないことが認められる。ところで原告は、本件受傷による後遺症のため右の洋裁仕事ができなくなり、満五五才までは従来の全額、それ以後六〇才(洋裁可能年令)まではその半額に相当する洋裁による得べかりし利益を喪失したと主張するので考察するに、前認定の原告の受傷の部位程度並びに後遺症状に照らし本件口頭弁論終結時である昭和四三年七月一七日(事故後五ヶ年)までの間の喪失利益については、本件負傷と相当因果関係にある損害と認むべく、他に右認定を覆すべき証拠はない。しかしながらそれ以後の見込み請求にあたる分については、原告の本人尋問結果によれば右尋問日である昭和四二年八月一日現在における原告の健康状態はかなり良好となり前記後遺症状も軽減されていると認められるので、原告主張のように生涯右症状が持続するものとはたやすく認定しがたく、本件負傷の結果と認め得べき後遺症状が果して今後いつまで続くかは更に専門医の詳細な検査判定をまたなければ容易に推定できないものというべきところ、これを判定すべき証拠はない。よって原告の右請求中昭和四三年七月一八日以後の喪失利益の賠償請求は認容しがたいものというべく、そうすると原告が本件負傷の結果失った洋裁による得べかりし純利益は事故日から右昭和四三年七月一七日までの五年間一ヶ月金一万三〇〇〇円の割合による合計金七八万円となる。

(3)  慰藉料

原告の負傷経過及びその部位程度、後遺症状については前記で判断したとおりである。原告は右傷害による後遺症のため少くとも右認定の昭和四三年七月一七日までの五ヶ年間、頭痛、頭重感、易疲労性症状のため不快な生活を余儀なくされ、その間肉体的精神的に多大の苦痛をなめたことが推認される。しかしながら本件負傷事故の発生については、原告にも被告主張抗弁(二)記載の不注意があったと認めざるを得ない。すなわち乗合バスの乗客は、立っている場合にはそのバスに吊り皮、握り棒などの設備がある限り、バスの動揺、急停車等の衝撃による危害を避けるため右設備を利用し、自らその危害の防止に努めなければならない義務を有するものというべきところ、原告は前認定のとおり乗降口附近の握り棒を左手で軽く掴んでいた程度で右の注意義務を十分につくしていなかったため、本件バスの急停車による衝撃は左程大きいものではなかったに拘らず、その衝撃のため握り棒を掴んだ手が外れ、停車に伴う反動により前方へよろけ運転台附近に転倒したものであることが認められ、さらに≪証拠省略≫によれば当時車内には空席もあり、いわんや吊り皮は殆ど空いていたことが認められるので、原告としては、よしんば次の停留所で下車するにしても、車掌にその合図をして停車するまで座席を利用するとか、少くとも安全度の高い吊り皮を確実に掴んで危害の発生を未然に防止すべきであったのに、握り棒を軽く掴んでいたに過ぎなかったのであるから、本件負傷事故の発生については原告にも乗客としての不注意があったといわなければならない。よって以上認定の原告の過失を含む負傷経過、傷害の部位程度、治療日数と治療経過、後遺症状及び原告の年令、家庭事情等諸般の事情を斟酌し、原告の右精神的苦痛に対して被告の賠償すべき慰藉料は金三〇万円と認定する。

(4)  弁護士費用

≪証拠省略≫を綜合すれば、原告は被告が本件負傷事故に対する責任を否定し賠償要求に応じないため、法律扶助協会兵庫県支部の法律扶助を受けて本件訴訟手続を弁護士西川晋一に委任し、着手金(手数料)として金三万円を支払い、謝金として判決認容額の二割以内を判決言渡後直ちに支払うべきことを契約したことが認められる。そして本件事案の内容及び前記三(3)、後記四(二)の認容額に照らし右謝金は金七万円を下らないものと認められるので、被告は原告に対し本件負傷事故による損害賠償として原告の負担する右弁護士費用のうち原告の主張する金六万円を支払うべきものと認める。

四、抗弁に対する判断

(一)  被告は運転者の無過失を主張し、≪証拠省略≫中には右主張に副う供述があるけれども、右供述を裏付ける証拠はなく、かつ供述のみをもってしては急停車前のバスの速度、先行車との車間距離、先行車の停止信号を知り得た地点と制動距離との関係、これに伴う制動方法の適否などの諸点につき的確な判断をなし難く、他に運転者の無過失を認めるに足りる証拠がないので、被告の右抗弁は採用しがたい。

(二)  被告は過失相殺を主張する。そして本件負傷事故の発生につき原告に過失の存することは前に認定したとおりであるから、原告の右過失を前記三(1)(2)の損害(合計七九万円)につき斟酌し、被告の賠償すべき額は金四〇万円と認定する。

(三)  さらに被告は、原告の本訴請求は不当過大な請求であるとして、被告が応訴のために要した弁護士費用との相殺を主張するけれどは、民法第五〇九条に抵触する主張であり、かつ以上の各認定に照らし原告の本訴請求(認容額を超える部分を含む)が被告に対する不法行為を構成するものとは認められないので、被告の右相殺の抗弁は採用できない。

五、結び

以上のとおり、被告は原告に対し本件負傷事故による損害賠償として合計金七六万円及び内金七〇万円に対する昭和三八年七月一八日(事故の翌日)以降支払済まで民事法定利率年五分の割合による金員の支払義務を有するものと認められるので、原告の本訴請求を右の限度で認容し、その余の請求は理由がないと認め棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行の宣言及びその免脱につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原田久太郎)

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